フラグメント分子軌道計算ソフトウェア ADBS(Advance/BioStation) Version 3.3の新機能・改良点
フラグメント分子軌道計算ソフトウェアADBS(Advance/BioStation) Version 3.3の機能改良および変更・修正点をご紹介します。
新バージョンの主な追加機能
- sp2炭素原子をBDAとするフラグメント分割機能を追加し、タンパク質のアミノ酸残基の自動フラグメント分割において、PDB形式のアミノ酸残基番号と同じ分割が可能となりました[1]。
- 利用可能な基底関数を追加しました。STO-2G, STO-3G*, STO-6G, 3-21G*, 3-21++G, 3-21++G*, 3-21+G, 6-31+G*, 6-31++G, 6-31++G*, 6-31G(3df,3pd), 6-31+G, 6-311G, 6-311G*, 6-311G**, 6-311+G*, 6-311++G**, AhrichsVDZ, AhrichsVTZ, AhrichsCF, cc-pVDZ, cc-pVTZ, aug-cc-pVDZ, aug-cc-pVTZ.
- 基底関数を原子単位、フラグメント単位、BDAだけ異なる基底関数、Layerごとなど、細かく指定できるようになりました。例えば、リガンドから8ÅÅ以内のフラグメントは6-31G、その他はSTO-3Gという指定も可能です。MLFMO計算ではLayer2でMP2/6-31G、Layer1でHF/STO-3Gという計算もできるようになりました。
- Natural population analysis (NPA) [2] による部分電荷計算を追加しました。
- MullikenおよびNPA部分電荷をPDBQおよびMOL2形式ファイルで出力できるようになりました。ドッキングソフトなどの初期電荷情報としてご利用できます。
- エネルギー密度解析機能を[4]を追加しました。
- リスタート機能を大幅に強化し、さらに使いやすくなりました [5]。
- 並列計算ライブラリーにIntel® MPI、数値演算ライブラリーにIntel® MKLを利用し、計算アルゴリズムのBLAS/LAPACK化を進めました[6]。これにより前バージョンと比べて最大20%程度、計算スピードが向上されました。
- 構造最適化計算で最適化する原子を原子単位・アミノ酸残基単位・側鎖のみなど、細かく指定できるようになりました。
- モノマーSCC (Self Consistent Charge)で計算を終了するオプションを追加しました。リスタート機能と併せて、SCCから再計算できます。
- モノマーSCC計算で得られた電子密度での部分電荷を出力するようになりました。
- モノマーSCC計算の収束アルゴリズムにDynamic update[3]を追加しました。デフォルトの収束アルゴリズムDIISでSCCが収束しない場合などにご利用できます。
その他の仕様変更・修正点
- QM/MM計算でQM領域とMM領域との相互作用エネルギーの計算レベルを量子化学計算あるいはXUFF分子力場計算で行うか選択できるようになりました。
- デフォルトではcpfファイルにMO情報を出力しない設定に変更しました。入力ファイルオプションifie_only=offでMO情報が出力されます。
- 分子量が出力されるようになりました。
- QM/MM計算でのエネルギー計算の不具合を修正しました。
- RIMP2計算でまれに生じる不具合を修正しました。
- 入力ファイルオプションで大文字小文字の区別がなくなりました[7]。
- 入力ファイルでコメントを付けられるようになりました(入力ファイルデータで!記号を先頭に付けると、その行はコメント行となります)。
- 自動フラグメント分割でまれに生じる不具合を修正しました。
- 自動フラグメント分割機能において、ヒスチジン残基名HIE /HID /HIP/HSE /HSD/HSP、システイン残基名CYXが正しく認識できるようになりました。
- XUFF分子力場を改良しました。
- 金属イオンのイオン半径を入力できるようになりました。金属イオンのフラグメントマージがうまく動作しない場合に有効です。
- 出力ログフォーマットを大幅に改善し、より分かりやすくなりました。
- Version 3.3よりLinux (64bit)版のみのご提供となります。Windows版はVersion 3.2までとなります。
- その他の不具合を修正しました。
[1] タンパク質の自動フラグメントのみに対応しています。フラグメント分割にはエチレンの混成軌道を射影軌道として利用しています。
[2] A.E. Reed, R. B. Weinstock, and F. Weinhold (1985) J. Chem. Phys. 83, 735.
[3] T. Ishikawa and K. Kuwata (2010) Chem-Bio Info. J., 10, 24-31.
[4] H. Nakai (2002) Chem. Phys. Lett. 363, 73.
[5] Version 3.2以前のリスタートデータファイルとの互換性はなくなります。
[6] Advance/BioStation製品パッケージに必要なIntel® MPI/MKLランタイムライブラリーが同梱されており、インストーラーから自動的にインストールされます。
[7] データ入出力関連のオプションでは大文字小文字を区別する場合があります。
新バージョン機能の事例紹介
sp2炭素原子をBDAとするフラグメント分割機能
これまでのタンパク質のFMO計算でのフラグメント分割は、主鎖のCα原子を基点(BDA)としたフラグメント分割でした。一方、PDB(Protein Data Bank)データフォーマット形式でのアミノ酸残基の区切りは、主鎖C=O基のC原子を基点としています。
従って、図1にあるように、タンパク質のCα原子を基点にフラグメント分割したアミノ酸残基と、PDBデータフォーマットのアミノ酸残基は、主鎖C=O基の所属がずれることになります。FMO計算でフラグメント単位の相互作用エネルギー解析において、この分割方法だと若干不自由に感じる場合があります。Version 3.3では主鎖C=O基のC原子(sp2炭素原子)をBDAとしてフラグメント分割する機能(sp2炭素原子フラグメント分割)を加えました。これにより、FMO計算のフラグメントの原子はPDBデータのアミノ酸残基と同じになります。
図1
sp2炭素原子フラグメント分割機能の事例をご紹介します。アラニン3量体に対して、通常の量子化学計算、sp2炭素原子フラグメント分割によるFMO計算、sp3炭素原子フラグメント分割によるFMO計算を行った結果を下記の表に示します。計算レベルはHFで行いました。sp3炭素原子フラグメント分割によるFMO計算は、通常の量子化学計算とのエネルギー差が1 kcal/mol以下と非常に良好な結果となっています。
一方、sp2炭素原子フラグメント分割でも通常の量子化学計算とのエネルギー差は2 kcal/mol以下となり、sp3炭素原子フラグメント分割とほぼ同等のエネルギー精度が得られることがわかります。主鎖C=O基の相互作用の解釈が気になる場合やアミノ酸残基の分割をPDBと同じにして計算を行いたい場合などに、Version 3.3のsp2炭素原子フラグメント分割機能をご利用ください。
表1 アラニン3量体の通常の量子化学計算とFMO計算
基底関数の個別指定機能-FMO計算におけるdiffuse関数の活用
Version 3.3では基底関数を大幅に強化しました。さらに、基底関数を原子単位、フラグメント単位、BDAだけ異なる基底関数、Layerごとなど、細かく指定できるようになりました。FMO計算において基底関数を原子ごとに個別に指定するメリットを示す事例をご紹介します。
基底関数の種類にはdiffuse関数と呼ばれる追加関数があります。これは、元の基底関数に対して、より大きく広がった関数を置きます。こうすると基底関数の柔軟性がよくなり、エネルギー精度や電荷移動などの物性値の精度が向上することが期待されます。diffuse関数を加えることはアニオン分子のような電子が広がった分子に対しては特に有効です。しかしながら、FMO計算でdiffuse関数を加えると不自然な解に陥る場合があります。その例を下記に示します。
アラニン3量体に対して、通常の量子化学計算(conventional計算)とFMO計算を6-31G基底関数にdiffuse関数を加えた6-31+Gで行いました。計算レベルはHFです。
表2 アラニン3量体のHF/6-31+G計算のエネルギー
通常の量子化学計算とFMO計算のエネルギー差は、11.3 kcal/molとなりました。この値から判断すると、一見、FMO計算のエネルギー精度は悪くないように思われます。しかし、Mulliken部分電荷をみると、FMO計算で得られた電子状態は不自然な解に陥っていることが分かります。アラニン3量体の重原子のMulliken部分電荷を下記に示します。
表3 アラニン3量体のHF/6-31+G計算のMulliken部分電荷
赤字で示した原子のFMO計算のMulliken部分電荷は、形式電荷やconventional計算の数値よりも異常に大きな値をもっていることがわかります。このような結果となる主な原因は、アラニン3量体をフラグメント分割したときのBDAにあります。タンパク質のようなポリマーの共有結合を分割してFMO計算する場合、分割の基点となるBDAの基底関数の柔軟性が高くなると、それが原因でおかしな電子状態に陥りやすくなり、電子状態の収束も著しく悪くなります。このような問題を回避する方法のひとつは、BDAに割り当てる基底関数の柔軟性を減らすことです。BDAの基底関数を4-31Gに置き換えた結果を下記に示します。
表4 アラニン3量体のHF/6-31+G (BDAは4-31G)計算のエネルギー
エネルギー差は-3.863 kcal/molとなり、6-31+GだけのFMO計算よりも通常の量子化学計算とのエネルギー差は小さくなりました。BDAの基底関数の精度を下げることでより精度の高いエネルギー値が得られることが分かります。さらに、Mulliken部分電荷で比較すると、FMO計算は通常の量子化学計算と0.1e以下という非常に優れた精度で求められており、よい電子状態になっていることが分かります。このように、基底関数を個別に指定することによって、FMO計算をより高精度にご利用できます。ADBS(Advance/BioStation) Version 3.3では、BDAだけ別の基底関数を指定するオプション(BasisSetBDA)も用意しています。
表5 アラニン3量体のHF/6-31+G (BDAは4-31G)計算のMulliken部分電荷
図2 アラニン3量体
Natural Population Analysis (自然ポピュレーション解析)
分子の各原子の電荷を正しく評価することは、分子の電子状態、分子同士の電荷移動量の見積りや分子相互作用など、分子物性の正しい理解のために必要です。しかしながら、原子の電荷は量子力学的に観測可能な量ではないため、量子化学計算で得られた電子密度から一意に原子電荷を決めることはできません。このため、原子電荷の求め方には、様々な方法が提案されています。
Mulliken(マリケン)電荷解析は、幅広く使われている電荷密度分割法です。この方法は最も簡便ですが、場合によって、定性的な解釈と相反する値を生じることが知られています。これに対して、最近利用されているのが、Frank Weinhold教授が提案したNatural Population Analysis (NPA) です [1]。NPAは、電荷密度から求められた各原子の電子占有数を重みにして原子軌道(Atomic Orbital, AO) を直交規格化させた軌道(自然原子軌道 Natural Atomic Orbital,NAOと呼びます) をベースに、原子の電荷を見積もる方法です。NPAによる原子の電荷(NPA電荷) は定性的な解釈と合うことが多いため、よく活用されています。
NPAによる電荷解析の事例をご紹介します。下図に示すのは、水溶液中のカルシウムイオンのモデル、カルシウム+水分子クラスター [Ca(H2O)29]2+ です。定性的には、水溶液中のカルシウムはイオン化され、2価のカチオン(Ca2+) として存在していると考えられます。
図3 カルシウムイオン+水分子クラスター [Ca(H2O)29]2+
表は、ADBS(Advance/BioStation) でFMO-HF/6-31G*レベルで計算した[Ca(H2O)29]2+のカルシウムイオンとその極近傍に存在する5個の水分子のMulliken電荷とNPA電荷です。カルシウムイオンのMulliken電荷は+0.675で、形式電荷+2と大きな差があります。Mulliken電荷で結果を解釈すると、この分子系は+1.325に相当する大きな正電荷がカルシウムイオンから水分子へ流れて、近傍の水分子のMulliken電荷はどれも+0.1e程度の正電荷を帯びていることになります。このカルシウムイオンのMulliken電荷の値は定性的に不自然で、水分子への電荷移動量も大きすぎますので、計算結果の理解に悩むところです。一方、NPA解析ではカルシウムイオンの電荷は+1.357となり、形式電荷である+2に近い値となっています。また周辺水分子のNPA電荷も、Mulliken電荷に比べると中性分子に近い値になっており、定性的に納得できる値です。このことから、このモデルの原子分子の電荷の値や、カルシウムイオンから水分子への電荷移動量は、Mulliken電荷よりNPA電荷で評価するほうが、理にかなっていると言えます。
表6 [Ca(H2O)29]+2の電荷解析。FMO-HF/6-31G*レベルの計算。
ADBS(Advance/BioStation) のNatural Population Analysis機能は、FMO計算ならびに通常の量子化学計算に対応しています。また、MP2電子密度にも対応しています。蛋白質の各アミノ酸残基やリガンドなどのNPA電荷を求め、FMO計算で得られる相互作用エネルギーの解釈にご活用できます。
電荷解析は電子密度を各原子へ分配する方法ですが、それに類似して電子エネルギーを各原子へ分配することも可能です。これはエネルギー密度解析(Energy Density Analysis, EDA) [2,3]と呼ばれています。エネルギー密度解析から、分子の電子状態の特徴をより深く理解することができます。ADBS(Advance/BioStation) では、原子軌道(AO) と自然原子軌道(NAO) に基づいたエネルギー密度解析が可能です。
[1] A.E. Reed, R. B. Weinstock, and F. Weinhold (1985) J. Chem. Phys. 83, 735.
[2] H. Nakai (2002) Chem. Phys. Lett. 363, 73.
[3] T. Baba, M. Takeuchi, and H. Nakai (2006) Chem. Phys. Lett. 424, 193.




